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「とみパパ」から「おひさま光線」へ、そして「いかだ」へ

こんばんは。田中です。

私は末の娘が小学3年生の時、西区山田(「やまた」と濁らず)の保護者会長でした。当時、16人の子どもで13世帯、こじんまりしていました。

「やまた」は、「やまたのおろち」の「八又」と同じ、たくさんに分かれているという意味です。昔の山田村は、奈良につながる西国街道にも近く、久地、沼田など各地につながる道路の出発点でした。毛利元就は各地の年貢米を草津港でおろし、馬で標高156mの山田村まで一旦引き上げ、そこから吉田まで運んでいました。1543年、山田村には100人の村民と、100頭のウシが暮らしていたと文献まで残っている由緒正しき、運輸の大拠点だったのです…こんな話はどうでもいいので、次に進みます。

 私が保護者会長に引きずり込まれたきっかけは、こうです。4月の総会に出席した際、当時の会長から発言を求められ、何とその時、その会長は私のことをいきなり「はい、とみパパ」と呼んだのです。私の名前は「とみのり」なので、問題はないのですが、それ以来周りのお母さんも「とみパパ」と呼ぶようになり、男性は私一人でしたが一気に打ち解け、みなさんと友達のようになってしまいました。それで、会長に祭り上げられてしまいました。最初から陰謀だったのかもしれません。

 会長になって、まず始めたのは保護者会ニュースの発行。山田は「あおぞら」と呼ばれていたので、空が青くなるおおもとは太陽光線だからと、ニュースの名前は「おひさま光線」。月に何度か、施設に取材に行き、先生の話を聞き、お茶やお菓子をいただき、保育の様子を写真にとりました。署名の時には、月刊を週刊にし、頑張るお父さん特集を組んだこともありました。

 それが市連協に知られることとなり、市連協機関紙「いかだ」を復刊してもらえないかとたのまれ、保護者会を卒業後、「いかだ」編集を担当することになりました。市連協58年の歴史の中で、今の「いかだ」が4度目の復刊です。

 長年携わって感じた放課後児童クラブのいいところ。それは競争がないことです。競争が人を育てるとお考えの方もあるとは思いますが、私は競争ではなく「共感」が人を育てると考えています。子どもは放課後に、放課後児童クラブで育つ…これがその後、長くここで活動するようになった根っこにあるものです。(2021.7.15)

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