「根」を育てる学童保育の真骨頂
- hirogaku
- 2022年3月3日
- 読了時間: 2分
おはようございます。田中です。
先日、近くの公園で15人くらいの子どもたち、下は1年生?から大きな子どもまで、男の子も女の子も一緒になってドッジボールをしていました。とっても楽しそうで、子どもたちの声が響いていました。よくみると、大きな子どもは、相手チームの子どもにボールを当てたりしないで、外にいる味方にパスしています。相手チームの子どもたちは逃げ回ることそのものを楽しんでいる様子です。また小さい子どもがボールを投げる役にまわれるようにボールを渡していました。この前は、同じ集団なのかはわかりませんが、「はないちもんめ」をしていました。
そんな話をある指導員にしたら、「全体が見える子が一人いると、遊びがうんと面白くなる」と、鬼ごっこの様子を話してくれました。小さい子どもは、オニにはなりたくないけれど、まったく追いかけられないで無視されるのはもっとさびしい。ドッジボールでもあてられるのはイヤだけど、まったく狙われないのは悲しい。もう二度としたくなくなります。そこに、全体が見える子がいると、小さい子が面白くなるように心配りをしてくれるというお話でした。
異年齢集団の底力です。小さい子も、次の年からは少しずつ全体が見える子、心配りのできる子、友だちの気持ちに心を寄せれる子に成長していくのでしょう。「花」を咲かせるのは学校かもしれませんが、人間の「根」を育てるのが学童保育の真骨頂です。
お話を聞きながら、2つの記憶がよみがえりました。一つは、公園で見かけたドッジボール。なかにひときわ大きな男の子?がいたような。ひょっとして民間放課後児童クラブの男性指導員だったのかも。今度見かけたら、ぜひ声をかけたいと思います。もうひとつ。中学2年生の時、クラスで男女対抗「はないちもんめ」大会が行われました。指名された者同士が引っ張り合います。中学生は、女子の方がはるかに大人。手を握られた男子はへなへなになって力がだせず互角の勝負でした。その時、私は一度も女子チームから指名されず、終わった後の盛り上がりの中で沈んだ気持ちのままでいた悲しい記憶が心の奥底から泡のように湧き上がってきました。無視されるのは大きくなってからも寂しいことです。(2022.3.3)
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