10月23日、24日は全国学童保育研究集会がオンラインで開催されます(申し込みは締め切りました)。24日の分科会「性の問題と学童保育」は今年も大盛況です。全国の現場では、職員が加害者となる事件がいくつか起きているだけでなく、LGBTなど誰がそうなのかはわからなくても、あることを前提にした保育実践や言葉かけはどうあるべきかなど、真剣な探求や交流が行われると思います。
真ん中の娘が中学1年生だった時、食卓で新聞を読む私に、「お父さん、赤ちゃんはどうやってできるの?」と質問してきました。上の娘は、父親がなんと答えるのか興味津々でそばで聞いています。私は、「ここに、卵巣があって、卵管があって、子宮があって…」「男の生殖器はこういう構造で…」と、すでに子育て中のみなさんにつづきは不要でしょうが、図解入りで具体的に説明しました。合わせて、「古事記」では、イザナギノミコトとイザナミノミコトが、「成り余りたるところ(男性の突き出た部分)をもって、成り合わさざるところに差し入れ、いざ国をつくらん」と、神様ですから「国」を生むことになりますが、本当は子どもをつくる話であることも話しました。科学が好きだった娘のための特別講義として、「精子の構造と、暗闇の中で卵子に向かってのみつき進むメカニズム」についてもレクチャーしました。
最後に「man」と「woman」の話。「woman」の「wo」は女性器を表す言葉で、女性は子どもを生む能力を備えた特別の人間であり、特別に愛され、敬愛され、保護されるべき存在であること、「man」はそのような特別の能力をもたない普通の人間という意味だというお話をしました。私は詳しくありませんが、最近は「man」を人間・人という意味で使うことは避けられています。人間は「person」を使っています。日本では「ついて」生まれると男、「ついていない」と女ですが、欧米では「ついている」のが女で、「ついていない」のが男なのです。
私の話を聞いた娘の一言。「へー!犬だけだと思ってた」。これ以後、上の娘とも真ん中の娘とも、これまでも普通の関係ではありましたが本当に仲良くなり、上の娘はちょうど「父親=汚らわしい」期でしたが、一気に脱して、コタツに入る時も狭いのにわざわざ私の隣りに来たりするようになりました。真ん中の娘も、夜中に雷が怖いと私の布団に入ってきたこともあります。ちょっとドキドキしました。(2021.10.10)
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