こんにちは。田中です。
今年の7月は母の七回忌です。6年前、母の葬儀の喪主をつとめ、自画自賛ではありますが立派に見送ることができたことで、私はやっと一人前の人間になれたと思いました。それまで、祖母、父の葬儀でも喪主をしましたが、その時にはない感情でした。親は亡くなる時、子どもに最後の教育をすると言いますが、その通りだと思います。
わが家の法事には、恒例行事がついています。それは、お寺さんのお経の後の質問コーナー。お経や宗派の教えについて、率直な質問をするのです。「幽霊はいますか。宗教ではどう教えていますか」「悪いことをしたらバチは当たりますか」「なぜ五重塔は5なのか、4ではいけないのか」などなど。これは、長女が小さかったころの法事の席で、お経が終わって振り向いたお寺さんに、「いったい今、誰に向かってしゃべっていたのか?」と質問したのがきっかけです。お寺さんは、実は、お経は後ろに座っている人に向かってお話しているのだと、お経の中身も含め丁寧に説明してくれました。
広島県から不要不急の用事で県外に出ないようにという県知事の指示をいいことに、田舎のお墓参りは久しくしていません。きっとお墓は草ぼうぼうです。しかし、「葬」という感じは、草葉の陰から死者が両手にあごをのせて、じっとこちらを見ている姿を描いたものだと言われています。あんまり草をきれいに刈ったのでは、草葉の陰から子どもを見守ることもできまいと、これも親孝行の一つと勝手に解釈しています。そういえば、母が亡くなる4日前の最後の“お言葉”は、「お前は親不孝者だ」でした。親の期待を裏切り続けた人生でした。
子どもたちには、君たちは生まれてきて、私を父親にしてくれただけで親孝行はもう済んでいると伝えています。あとは自由におおらかに、人生の主人公として、自分らしい人生を歩んでほしいと思います。(2021.7.3)
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